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出雲王国と物部王国、九州王国の三つ巴の戦いがあったのか? 天孫族が国譲りを強要した?

日本史あやしい話


■大国主神が築いた王国を滅ぼしたのは物部氏?

 

 ともあれ、その謎解明にチャレンジしてみよう。参考にしたいのが、梅原猛氏の著書『葬られた王朝』である。同書によれば、素戔嗚尊が、長い間支配下にあった越王朝を攻め取った後、大和へ侵攻。勝利を得て、多くの出雲人が大和へ移り住んだという。出雲系の神々を祀った大神神社(奈良県桜井市)や河俣神社(奈良県橿原市)、高鴨神社(奈良県御所市)などの他、大和に出雲を冠した地名が多いのがその証とか。大国主神が、日本海沿岸の他、近畿、四国、山陽に至るまでの地域一帯を支配下に置いていたとまでみなしている。

 

 さらに興味深いのが、その後の動向である。「オオクニヌシ王国を滅ぼしたのは、物部氏の祖先神である」との興味深い説を紹介しているからだ。出雲王国を滅ぼしたのは、『記紀』によれば天津神であった。武甕槌神とともに地上へと派遣されてきた経津主神が、本来の物部氏の祭神であったことを鑑みれば、確かにそれも当然というべきかもしれない。

 

 ちなみに、神武天皇東征時に大和の地に君臨していた饒速日尊が物部氏の祖と見られている。物部氏ゆかりの神である経津主神と饒速日尊の関係性はわからないが、何らかの形で両神が繋がっていたと考えることもできそうだ。

 

 ここで注目したいのが、本当は物部氏が天孫族とは繋がりのない一族だったかもしれないという説である。それが事実だとすれば、『記紀』を記したヤマト王権としては、出雲族を滅ぼしたのは他の種族(物部氏)だった訳だから、戦局を詳細に語ることをやめ、すんなりと譲位したかのように記すのが無難だったのかも。

 

 加えて、もう一つ気になるのが、邪馬台国との関係である。大国主神が築き上げた出雲王国と、それを滅ぼした物部王国、その両王国とも勢力が及ばなかったのが九州の地であった。そこに勢力を張っていたのが天孫族で、これが出雲に進出して大国主神らに国譲りを強要したとも考えられそうだ。敗れた出雲族は、北陸、関東、東北へと落ち延びていったとか。その天孫族がいたという九州勢というのが、実は邪馬台国だったと考えることはできないだろうか?…とまあ、際限なく想像の領域が広がっていくのである。

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藤井勝彦ふじい かつひこ

1955年大阪生まれ。歴史紀行作家・写真家。『日本神話の迷宮』『日本神話の謎を歩く』(天夢人)、『邪馬台国』『三国志合戰事典』『図解三国志』『図解ダーティヒロイン』(新紀元社)、『神々が宿る絶景100』(宝島社)、『写真で見る三国志』『世界遺産 富士山を行く!』『世界の国ぐに ビジュアル事典』(メイツ出版)、『中国の世界遺産』(JTBパブリッシング)など、日本および中国の古代史関連等の書籍を多数出版している。

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